2007'04.25 (Wed)
子宮筋腫 7
前回の子宮筋腫6のつづきです。
(以前、手術した時のお話です)
手術後、いろいろな点滴にまざって自己血を戻していた。
手術の時使わなかった自己血は自分の体へ戻されるのだそうだ。
なるほどなぁ〜。。。
まだまだ翌日も熱が下がらず、時間がただ過ぎていった。
熱が下がると、さぁ〜起き上がって!!って言われる。
傷が痛いし、動く事が恐い。
動けない〜って思うけど
看護婦さんに手伝っていただき、起き上がってみる。
結構、動けるものだ。
でも、座ったり立ちあがったり、くしゃみするたび
ああーーーって痛みが。。
当たり前ですね。お腹切ってるんですから。
筋腫は大きいのが二つ。中ぐらいが一つ。
その他、梅干ぐらいの大きさのものがごろごろ。。。
術後、先生がトレーにのせて両親と彼に見せてくれたそうだ。
あんまり見たくないものだろうな〜。。。筋腫なんて。
やはりその事はこの3人はあまり話したがらない。
30歳目前。親にとっては、自立してるようで人騒がせな娘だろうな。
自宅から病院までは、車でも1時間ぐらいかかる。
母は、一人では来れないので電車で来たり
弟に連れてきてもらっていた。
入院中、困る事は洗濯物だ。
2週間の入院。9月なので、まだまだ暑い。
2,3日に一回持って帰ってもらって洗濯して
また持ってきてもらうって感じだった。
私がいた病室はみなさん婦人科のガンの方たちだった。
不思議と病室の個々のカーテンはここは完全に朝開けられ
よほどの事がないかぎり寝るまで閉める事はない。
たくさんみなさんと話をした。
でも、昨日まで元気で明るかったのに、ガンの治療をはじめると
カーテンは閉められる。嘔吐してる音と泣き声が聞こえてくる。
体がつらいのだ。いや、こころがつらいのだ。
もう、やめたい。。。家族へ話してる。
私は、もうしばらくしたら、退院して帰る事が決まってる。
退院がいつになるかわからない不安は
耐え難いものだと初めて知った。
こういう時、かける言葉が何も見つからなかった。
家族の方はみなさん、お近くでもないのに
毎晩、夜は一緒にご飯食べたいからと
夕飯の時間に合わせてお見舞いに来ていた。
病室で一人の食事ってすごく寂しい。
こんなに一人でご飯を食べたのは初めてだった。
はじめて、一人が恐いと思った。
親がもし居なくなったら、私は一人だ。って思った。
弟達には弟の家庭があるし時間がある。
なぜか天涯孤独のような気分になっていた。
歩けるようになった私は、病院の外来の時間が終わると
散歩ばかりして病室にはほとんどいなかった。
朝も5時には目が覚めてしまい、朝日を浴びに外にでていた。
お気に入りのベンチで本ばかり読んでいた。
お見舞いの人が来てくれると、喫茶店で過ごしたり
お気に入りのベンチを紹介していた。あはは。。。
無事、何事もなく退院する事になった。
先生には、半年後から妊娠していいから!と言われた。
妊娠のタイムリミットはその後3年。
再発の恐れがあるからだ。。。
未婚の私にタイムリミットなんて言われてもな〜って思った。
今回の手術で私は家族というものを何回も考えた。
手術の説明も立ち会うのもご家族、同意書もご家族。。。
退院の日、迎えに来てくれるのも家族しかいないのだ。
大人になったら、家族はいるけど、居ないようなものだ。
未婚でいるという事は、家族がいないという事に
いつかなってしまうのだ。そう思った。
(以前、手術した時のお話です)
手術後、いろいろな点滴にまざって自己血を戻していた。
手術の時使わなかった自己血は自分の体へ戻されるのだそうだ。
なるほどなぁ〜。。。
まだまだ翌日も熱が下がらず、時間がただ過ぎていった。
熱が下がると、さぁ〜起き上がって!!って言われる。
傷が痛いし、動く事が恐い。
動けない〜って思うけど
看護婦さんに手伝っていただき、起き上がってみる。
結構、動けるものだ。
でも、座ったり立ちあがったり、くしゃみするたび
ああーーーって痛みが。。
当たり前ですね。お腹切ってるんですから。
筋腫は大きいのが二つ。中ぐらいが一つ。
その他、梅干ぐらいの大きさのものがごろごろ。。。
術後、先生がトレーにのせて両親と彼に見せてくれたそうだ。
あんまり見たくないものだろうな〜。。。筋腫なんて。
やはりその事はこの3人はあまり話したがらない。
30歳目前。親にとっては、自立してるようで人騒がせな娘だろうな。
自宅から病院までは、車でも1時間ぐらいかかる。
母は、一人では来れないので電車で来たり
弟に連れてきてもらっていた。
入院中、困る事は洗濯物だ。
2週間の入院。9月なので、まだまだ暑い。
2,3日に一回持って帰ってもらって洗濯して
また持ってきてもらうって感じだった。
私がいた病室はみなさん婦人科のガンの方たちだった。
不思議と病室の個々のカーテンはここは完全に朝開けられ
よほどの事がないかぎり寝るまで閉める事はない。
たくさんみなさんと話をした。
でも、昨日まで元気で明るかったのに、ガンの治療をはじめると
カーテンは閉められる。嘔吐してる音と泣き声が聞こえてくる。
体がつらいのだ。いや、こころがつらいのだ。
もう、やめたい。。。家族へ話してる。
私は、もうしばらくしたら、退院して帰る事が決まってる。
退院がいつになるかわからない不安は
耐え難いものだと初めて知った。
こういう時、かける言葉が何も見つからなかった。
家族の方はみなさん、お近くでもないのに
毎晩、夜は一緒にご飯食べたいからと
夕飯の時間に合わせてお見舞いに来ていた。
病室で一人の食事ってすごく寂しい。
こんなに一人でご飯を食べたのは初めてだった。
はじめて、一人が恐いと思った。
親がもし居なくなったら、私は一人だ。って思った。
弟達には弟の家庭があるし時間がある。
なぜか天涯孤独のような気分になっていた。
歩けるようになった私は、病院の外来の時間が終わると
散歩ばかりして病室にはほとんどいなかった。
朝も5時には目が覚めてしまい、朝日を浴びに外にでていた。
お気に入りのベンチで本ばかり読んでいた。
お見舞いの人が来てくれると、喫茶店で過ごしたり
お気に入りのベンチを紹介していた。あはは。。。
無事、何事もなく退院する事になった。
先生には、半年後から妊娠していいから!と言われた。
妊娠のタイムリミットはその後3年。
再発の恐れがあるからだ。。。
未婚の私にタイムリミットなんて言われてもな〜って思った。
今回の手術で私は家族というものを何回も考えた。
手術の説明も立ち会うのもご家族、同意書もご家族。。。
退院の日、迎えに来てくれるのも家族しかいないのだ。
大人になったら、家族はいるけど、居ないようなものだ。
未婚でいるという事は、家族がいないという事に
いつかなってしまうのだ。そう思った。
2007'04.17 (Tue)
子宮筋腫 6
前回の子宮筋腫5のつづきです。
さて、手術の前日、この日から入院でした。
軽く検査して後は明日を待つだけ。
初めての入院だったので、何もかにも不安だった。
荷物を置いて、きょろきょろ。
夕飯をいただいてからは、もう水は飲めません。
飲めないと思うと、異常に飲みたい。
水が飲めるって事の大切さをこんなに考えたのは初めてでした。
部屋はナースセンターの隣でした。
ここは、あまり状態のよくない方がいっぱいで
居心地がいまいち悪かったな。
翌日、お昼ごろから手術です。
朝も食べれません。
空腹ってイヤ。もう食べたいって事しか考えられない。
これから手術だっていうのに
あぁ〜あとどれぐらい何も飲めない、食べれないんだろう。って
その事ばかり考えてしまう。はぁ〜。。。
不安だし、何をしていいかわからなくて
病院内をうろちょろしてました。
時間になると看護婦さんが来て、なんだか白衣のような服を渡されました。
裸のまま着て下さいって言われた。げぇー。。。
もうトイレもいけないってぐらいの超ミニのワンピースだった。
もう、逃れなれない。。。
その後、ストレッチャーへ乗せられ、注射を腕に。
その後、私はすぐ意識朦朧になってしまった。
両親や彼にバイバイと手を振ったのは覚えているが
部屋からエレベーターへ乗るのは覚えてない。
ききすぎ???
意識がもどったのは、すでに術後で病室だった。
まだ麻酔が効いてるので、痛みは無かった。
まず第一声は彼にご飯食べた?だった。笑われた。
自分の手術がお昼からだったから、昼食を取れてなかったら
悪いなって思ったのかな。
父と彼は、この日初対面だった。
父は彼をちゃんとお昼に誘ってご飯を食べたのだそうだ。
あぁ〜良かった。。。
ほっとしたのか、また寝た。
どれぐらい時間がたったのだろう。
両親が、帰るからね。と起こしてくれた。
朦朧とした中でも、帰ってしまうのか。。。って
本当は少し寂しかった。
でも、声をかけられないまま帰ってしまって
起きたら誰も居ないってなるより、ずっと良かった。
それぐらい、心が弱っていたんだと思う。
次に目が覚めたら・・・激痛である。
隣のベッドのおばあちゃんもつらいようで騒いでる。
痛い。。。熱い。。。そして不安。
麻酔がきれたのだろう。熱もかなりでている。
こんなにつらいと思わなかった。
まったく熱が下がらなくて、看護婦さんは
夜中ずっと、対応してくれた。
もともと風邪をひいても熱があまりでないので
高熱がでると不安になってしまう。
不安になって泣きじゃくる。
痛みもすごい。寝れないけどなんだか朦朧としてて
夢の中のようだった。。。
さて、手術の前日、この日から入院でした。
軽く検査して後は明日を待つだけ。
初めての入院だったので、何もかにも不安だった。
荷物を置いて、きょろきょろ。
夕飯をいただいてからは、もう水は飲めません。
飲めないと思うと、異常に飲みたい。
水が飲めるって事の大切さをこんなに考えたのは初めてでした。
部屋はナースセンターの隣でした。
ここは、あまり状態のよくない方がいっぱいで
居心地がいまいち悪かったな。
翌日、お昼ごろから手術です。
朝も食べれません。
空腹ってイヤ。もう食べたいって事しか考えられない。
これから手術だっていうのに
あぁ〜あとどれぐらい何も飲めない、食べれないんだろう。って
その事ばかり考えてしまう。はぁ〜。。。
不安だし、何をしていいかわからなくて
病院内をうろちょろしてました。
時間になると看護婦さんが来て、なんだか白衣のような服を渡されました。
裸のまま着て下さいって言われた。げぇー。。。
もうトイレもいけないってぐらいの超ミニのワンピースだった。
もう、逃れなれない。。。
その後、ストレッチャーへ乗せられ、注射を腕に。
その後、私はすぐ意識朦朧になってしまった。
両親や彼にバイバイと手を振ったのは覚えているが
部屋からエレベーターへ乗るのは覚えてない。
ききすぎ???
意識がもどったのは、すでに術後で病室だった。
まだ麻酔が効いてるので、痛みは無かった。
まず第一声は彼にご飯食べた?だった。笑われた。
自分の手術がお昼からだったから、昼食を取れてなかったら
悪いなって思ったのかな。
父と彼は、この日初対面だった。
父は彼をちゃんとお昼に誘ってご飯を食べたのだそうだ。
あぁ〜良かった。。。
ほっとしたのか、また寝た。
どれぐらい時間がたったのだろう。
両親が、帰るからね。と起こしてくれた。
朦朧とした中でも、帰ってしまうのか。。。って
本当は少し寂しかった。
でも、声をかけられないまま帰ってしまって
起きたら誰も居ないってなるより、ずっと良かった。
それぐらい、心が弱っていたんだと思う。
次に目が覚めたら・・・激痛である。
隣のベッドのおばあちゃんもつらいようで騒いでる。
痛い。。。熱い。。。そして不安。
麻酔がきれたのだろう。熱もかなりでている。
こんなにつらいと思わなかった。
まったく熱が下がらなくて、看護婦さんは
夜中ずっと、対応してくれた。
もともと風邪をひいても熱があまりでないので
高熱がでると不安になってしまう。
不安になって泣きじゃくる。
痛みもすごい。寝れないけどなんだか朦朧としてて
夢の中のようだった。。。
2007'04.09 (Mon)
子宮筋腫 5
前回の子宮筋腫4のつづきです。
とうとう、手術が決定した。
生理をとめていても、筋腫はまた大きくなってしまった。
確実に、採るべきだという事になった。
今までは採ったほうがいい。だった。
採るべきなのだ。
それは、逆に私の背中を押してくれた。
でも、毎月の診察では担当医が決まっていなかった。
大学病院とは、毎回診察してくれる先生が変わる。
でも逆に、良かったのかもしれない。
いろんな先生と出会えるのだ。
月に一度、今日はだれかしら?って感覚。
不安でいっぱいではある。
毎回、カルテの過去の記録を見ながら
え〜と。。。何だっけ?って感じで、診察がはじまるのだ。
毎回、言われる事も違う。
同じ病院でセカンドオピニオンをしてるようだった。
手術中、もし輸血が必要となった場合
他人の血液を輸血するより、自分の血液を事前に採っておいて
万が一に備える事を勧められた。
自己血は貧血がある人は採れない。
でも、この時の私には、まったく貧血はなかった。
なのに、筋腫は大きくなっていく。
しかも普通の人より血は濃かった。。なんで???
子宮筋腫の代表的な症状に貧血があるのだ。
さすが、まだ解明できていない病気だ。。。
自己血の採取、俺が付き合ってあげるよ。と言ってくれた先生に
手術をしてもらう事にした。
理由は一つ。頼れそうだった、というフィーリングだ。
もう、自分の感覚を信じるしかない。
これから、全身麻酔でお腹を切るのだ。
誰にも先の事なんてわからない。
先生達は、今まで万が一の事ばかり説明してくれた。
不安だけが増していく。。。
この先生は、大丈夫だよ〜ってしか言わなかった。
手術前に2回にわけて800mlの血液を採る。
その後また、増血剤?のような筋肉注射。
体に針を刺される事は、もう慣れてきたようでも
気持ちがナーバスなのでつらい。
体の痛みより、気持ち的に痛いのだ。
準備は整った。
検査結果も問題なし。自己血も採れた。
手術の後、使ういろんな物も旅行気分でそろえた。
後は、手術日を待つだけである。
それが、2001年9月11日。この日が手術の日だった。
とうとう、手術が決定した。
生理をとめていても、筋腫はまた大きくなってしまった。
確実に、採るべきだという事になった。
今までは採ったほうがいい。だった。
採るべきなのだ。
それは、逆に私の背中を押してくれた。
でも、毎月の診察では担当医が決まっていなかった。
大学病院とは、毎回診察してくれる先生が変わる。
でも逆に、良かったのかもしれない。
いろんな先生と出会えるのだ。
月に一度、今日はだれかしら?って感覚。
不安でいっぱいではある。
毎回、カルテの過去の記録を見ながら
え〜と。。。何だっけ?って感じで、診察がはじまるのだ。
毎回、言われる事も違う。
同じ病院でセカンドオピニオンをしてるようだった。
手術中、もし輸血が必要となった場合
他人の血液を輸血するより、自分の血液を事前に採っておいて
万が一に備える事を勧められた。
自己血は貧血がある人は採れない。
でも、この時の私には、まったく貧血はなかった。
なのに、筋腫は大きくなっていく。
しかも普通の人より血は濃かった。。なんで???
子宮筋腫の代表的な症状に貧血があるのだ。
さすが、まだ解明できていない病気だ。。。
自己血の採取、俺が付き合ってあげるよ。と言ってくれた先生に
手術をしてもらう事にした。
理由は一つ。頼れそうだった、というフィーリングだ。
もう、自分の感覚を信じるしかない。
これから、全身麻酔でお腹を切るのだ。
誰にも先の事なんてわからない。
先生達は、今まで万が一の事ばかり説明してくれた。
不安だけが増していく。。。
この先生は、大丈夫だよ〜ってしか言わなかった。
手術前に2回にわけて800mlの血液を採る。
その後また、増血剤?のような筋肉注射。
体に針を刺される事は、もう慣れてきたようでも
気持ちがナーバスなのでつらい。
体の痛みより、気持ち的に痛いのだ。
準備は整った。
検査結果も問題なし。自己血も採れた。
手術の後、使ういろんな物も旅行気分でそろえた。
後は、手術日を待つだけである。
それが、2001年9月11日。この日が手術の日だった。
2007'04.01 (Sun)
子宮筋腫 4
前回の子宮筋腫3のつづきです。
検査の結果、以前行った検査の結果より
筋腫は大きくなっていた。
これは、まずい!!
手術をするか、しないか。。。
決断しなくては、いけない。
当然、子供の事を考えてみる。
そして、結婚の事も。
この時、もう28歳だった。
手術したら3年以内に子供を作らないと
再発するかもしれないと言われた。
でも、出きる保障なんてまったくない。
それより、出来にくい可能性の方が多いのだ。
うぅ〜。。。
未婚者に子供の話って結構つらい。
作れないのだから。
先生は、今の彼と結婚しなさいなんて言う。
でも、子供が今後できないかもしれないのに
結婚なんて出来るわけない。
彼だけでなく、彼の親だって
嫁が子供ができないかもしれないってわかっていて
素直に受けれられるのだろうか。。。
それだけでも、本当は考えたくない。
私の結論は手術を受けることに。
先の事はわからないけど
もう、お腹の中に筋腫を置いておくのがイヤになった。
今では他の手術方法もあるけど
この時は開腹手術しかなかった。
当然、全身麻酔。
先生の手術の説明を聞いてるだけで恐ろしい想像をしてしまう。
子宮がつれるように痛い。
考えただけで、痛い。痛い。痛い。
手術は決定。
だけど、その前に半年、生理をとめて
筋腫を少しでも小さくする事を勧められる。
筋腫は生理の時にでるエストロゲンというホルモンで
大きくなるのだそうだ。だから、生理がなくなると
筋腫も枯れる。小さくなるという事らしい。
毎月、注射を打ちに行く。
毎回1万ぐらい注射代がかかる。
筋肉注射なので、すごく痛い!!
もう、何もかも痛い。
こころも、子宮も、毎月注射を打つ腕も。
でも、なぜ筋腫ができるのか。とは
この時考えなかった。
それより、子供ができないかもしれない。
=結婚できないかもしれない。
そればかりだった。
半年後、筋腫はまったく小さくなっていなかった。
またしても、大きくなっていた。
検査の結果、以前行った検査の結果より
筋腫は大きくなっていた。
これは、まずい!!
手術をするか、しないか。。。
決断しなくては、いけない。
当然、子供の事を考えてみる。
そして、結婚の事も。
この時、もう28歳だった。
手術したら3年以内に子供を作らないと
再発するかもしれないと言われた。
でも、出きる保障なんてまったくない。
それより、出来にくい可能性の方が多いのだ。
うぅ〜。。。
未婚者に子供の話って結構つらい。
作れないのだから。
先生は、今の彼と結婚しなさいなんて言う。
でも、子供が今後できないかもしれないのに
結婚なんて出来るわけない。
彼だけでなく、彼の親だって
嫁が子供ができないかもしれないってわかっていて
素直に受けれられるのだろうか。。。
それだけでも、本当は考えたくない。
私の結論は手術を受けることに。
先の事はわからないけど
もう、お腹の中に筋腫を置いておくのがイヤになった。
今では他の手術方法もあるけど
この時は開腹手術しかなかった。
当然、全身麻酔。
先生の手術の説明を聞いてるだけで恐ろしい想像をしてしまう。
子宮がつれるように痛い。
考えただけで、痛い。痛い。痛い。
手術は決定。
だけど、その前に半年、生理をとめて
筋腫を少しでも小さくする事を勧められる。
筋腫は生理の時にでるエストロゲンというホルモンで
大きくなるのだそうだ。だから、生理がなくなると
筋腫も枯れる。小さくなるという事らしい。
毎月、注射を打ちに行く。
毎回1万ぐらい注射代がかかる。
筋肉注射なので、すごく痛い!!
もう、何もかも痛い。
こころも、子宮も、毎月注射を打つ腕も。
でも、なぜ筋腫ができるのか。とは
この時考えなかった。
それより、子供ができないかもしれない。
=結婚できないかもしれない。
そればかりだった。
半年後、筋腫はまったく小さくなっていなかった。
またしても、大きくなっていた。
2007'03.28 (Wed)
子宮筋腫 3
前回の子宮筋腫2のつづきです。
私には、手術したほうがいい大きい筋腫がある。
でも、この事実から目をそらして何年か過ごしていた。
子宮の事というのは
結婚。子供。という事にも関係してきてしまう。
考えたくはなかった。
もっと自然でいいと思った。
それから、何年かして
今の旦那さんとお付き合いがはじまる。
付き合う何年前から知り合いだったけど
なぜか、彼にこの病気について説明していた自分がいた。
ある日、彼が病院へ一緒に行こう!と言う。
オヤジの見舞いに付き合ってと。
その時、もう一度お前も検査してもらえばいいんじゃない?
ん?見舞い?検査?
彼のお父さんは、肝臓がんだった。
もって一年と言われてた。
私は検査。彼はお見舞い。
付き合って間もなかったので
お父さんには会った事も当然ない。
あっ私を病院へ連れていくきっかけをくれたの?
彼自身もお父さんのお見舞いへ一人で病院へ行く事を
さけてたようにも思えた。
お父さんの入院していた病院は
大学病院だった。
まず、私は診察へ。
終わったら連絡するね。と別れた。
当然、診察の間に彼はお父さんの所へ行ってると思ってた。
私のこの日は診察だけだった。
簡単な検査と次回のMIRの予約だけ。
メールで彼に連絡すると、喫煙室にいると言う。
え〜!!なんで???
彼は、まだお父さんへは会っていなかった。
しかし、彼はなんと喫煙室でお父さんに見つかった。
笑える。っていうかお父さん、タバコなんて吸っていいの???
父 『あれ???息子に似てるなぁ〜でも、いるわけないか!』
息子 『ひたすら、本を読みふけっている』
父 『似てる。。。って○○じゃないか!!!!』
彼はなぜか、私の診察中、本を読んで待ってたのだ。
驚いたのはお父さん。
仕事をしてると思っている息子が目の前で本を読んでる。
彼は私を待ってる、後で一緒に行くよと説明したらしい。
ぎゃー!!行くの??付き合ってまだ、二ヶ月だった。
でも、お父さんは待ってるのに、私、行かない!とは言えない。
え〜でも〜お見舞いとかって初めて会うのに手ぶら???
もう、仕方ない。行くしかない!
お父さんとの出会いはこんな感じだった。
お父さんは終始落ち着かない感じで、でも暖かい人だった。
後で聞いた話だが、お父さんの日記にこう書かれていたらしい。
『○○の彼女が見舞いに来てくれた!ケツのでかい可愛い子だった』
おいおい!!お父さん!!ケツはよけいだ!!
今でもこの日の日記の話を親戚にされるのである。恥ずかしい。。。
検査の日。
終わってから、私は一人でお父さんへ会いに行った。
お花を持って。
病室がざわざわしてる。若い女が見舞いにきた!!って感じ。
同じ病室の人がひやかしに来る。
明るいな〜この病室!なんて思った。
お父さんは私にこんな事を言った。
『もう、帰りたいから帰してくれっていってるんだ!
だから今月中に帰るよ。帰ったら家に遊びにおいで』と。
でも、帰れるわけなかった。
病状は本当はよくなかった。
でも、お父さんはしっかりしていた。
本当の病状をしらなかった私は
末期がんなんて思えなかった。それぐらい毅然としていた。
本当に帰れるのだと思っていた。
お父さんは本当に、この月の最後の日、帰ってきた。
この日が命日である。
お葬式は私の誕生日だった。
なんてお父さんだろう。
私の心の中に、何かを残して逝ってしまった。
私には、手術したほうがいい大きい筋腫がある。
でも、この事実から目をそらして何年か過ごしていた。
子宮の事というのは
結婚。子供。という事にも関係してきてしまう。
考えたくはなかった。
もっと自然でいいと思った。
それから、何年かして
今の旦那さんとお付き合いがはじまる。
付き合う何年前から知り合いだったけど
なぜか、彼にこの病気について説明していた自分がいた。
ある日、彼が病院へ一緒に行こう!と言う。
オヤジの見舞いに付き合ってと。
その時、もう一度お前も検査してもらえばいいんじゃない?
ん?見舞い?検査?
彼のお父さんは、肝臓がんだった。
もって一年と言われてた。
私は検査。彼はお見舞い。
付き合って間もなかったので
お父さんには会った事も当然ない。
あっ私を病院へ連れていくきっかけをくれたの?
彼自身もお父さんのお見舞いへ一人で病院へ行く事を
さけてたようにも思えた。
お父さんの入院していた病院は
大学病院だった。
まず、私は診察へ。
終わったら連絡するね。と別れた。
当然、診察の間に彼はお父さんの所へ行ってると思ってた。
私のこの日は診察だけだった。
簡単な検査と次回のMIRの予約だけ。
メールで彼に連絡すると、喫煙室にいると言う。
え〜!!なんで???
彼は、まだお父さんへは会っていなかった。
しかし、彼はなんと喫煙室でお父さんに見つかった。
笑える。っていうかお父さん、タバコなんて吸っていいの???
父 『あれ???息子に似てるなぁ〜でも、いるわけないか!』
息子 『ひたすら、本を読みふけっている』
父 『似てる。。。って○○じゃないか!!!!』
彼はなぜか、私の診察中、本を読んで待ってたのだ。
驚いたのはお父さん。
仕事をしてると思っている息子が目の前で本を読んでる。
彼は私を待ってる、後で一緒に行くよと説明したらしい。
ぎゃー!!行くの??付き合ってまだ、二ヶ月だった。
でも、お父さんは待ってるのに、私、行かない!とは言えない。
え〜でも〜お見舞いとかって初めて会うのに手ぶら???
もう、仕方ない。行くしかない!
お父さんとの出会いはこんな感じだった。
お父さんは終始落ち着かない感じで、でも暖かい人だった。
後で聞いた話だが、お父さんの日記にこう書かれていたらしい。
『○○の彼女が見舞いに来てくれた!ケツのでかい可愛い子だった』
おいおい!!お父さん!!ケツはよけいだ!!
今でもこの日の日記の話を親戚にされるのである。恥ずかしい。。。
検査の日。
終わってから、私は一人でお父さんへ会いに行った。
お花を持って。
病室がざわざわしてる。若い女が見舞いにきた!!って感じ。
同じ病室の人がひやかしに来る。
明るいな〜この病室!なんて思った。
お父さんは私にこんな事を言った。
『もう、帰りたいから帰してくれっていってるんだ!
だから今月中に帰るよ。帰ったら家に遊びにおいで』と。
でも、帰れるわけなかった。
病状は本当はよくなかった。
でも、お父さんはしっかりしていた。
本当の病状をしらなかった私は
末期がんなんて思えなかった。それぐらい毅然としていた。
本当に帰れるのだと思っていた。
お父さんは本当に、この月の最後の日、帰ってきた。
この日が命日である。
お葬式は私の誕生日だった。
なんてお父さんだろう。
私の心の中に、何かを残して逝ってしまった。


